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公安ちゃん

Author:公安ちゃん
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『イタリアのヴェネチア(3)』
リアルト橋 (300x199)

ベニスの地理

イタリアから帰国した後、あの<水上の都ヴェネチア>が、どのようにして建設されたのか、そして発展をとげたのかと言う歴史を勉強してみようと思った。
磯山雅『「バロック音楽」豊かなる生のドラマ」NHKブックス塩野七生『海の都の物語』等を読むと、凡その歴史がわかった気がした。特に、塩野七生の本は、彼女がイタリア在住の研究家であり、特に詳しくヴェネチアの発展過程をしるしており、その研究心に驚いたものだ。
(1) 誕生
イタリア北部のバドヴァの住民が、ゲルマン人のイタリア侵略から逃れて、避難して定住したのが、始まりとされている。それが、現在のトレチェロ島で、浅瀬の干潟に木の杭を打ち、その上に石造の家を建設してゆく。
(2) コムーネとして発展
当時のイタリアは、東ローマ帝国に属していたが、次第に港市として発展し、独自に統領(ドージェ)を市民の中から選出して都市共和国(コムーネ)として自立していき、「アドリア海の女王」と言われる繁栄を実現する。

ガレー船2 (300x183) - コピー


(3) アドリア海の支配権
11世紀になると、コムーネが強固になり、<ヴェネチア共和国>として独立し、大型船(ガレー船)や兵器を製造して、艦船や商船を建造して、アドリア海から東地中海、黒海の海上貿易を独占、東方貿易(レヴァント貿易)の中心地として栄えた。東方からは胡椒なその香辛料、織物などを輸入、ヨーロッパからは初めは奴隷、後には羊毛製品を主に輸出した。十字軍時代にはその出港地として船舶を提供、また多くのヴェネツィア商人が同行して利益を上げた。特に第4回十字軍ではヴェネツィアが主導してコンスタンティノープルを占領、その商業的特権を独占して植民国家ラテン帝国を建国し、さらにクレタ島、キプロス島などに植民地を支配し繁栄の基礎を築いた。ヴェネツィア共和国は十字軍の熱狂に乗じて東地中海に定期航路を確立し、貿易国としての地歩固めに成功。異教徒との通商を禁じるローマ法王を出し抜き、独自の経済技術や情報網を駆使して、東方との交易市場に強烈な存在感を示した。

イタリアの貴婦人 (203x300) 服装 (171x300)

(4)ヴェネチア共和国の繁栄
 地中海貿易を独占した、ヴェネチアは、東方貿易とヨーロッパ貿易の中継地として、繁栄した。裕福な貴族や婦人は、華やかな服装で夜会パーテイをしたり、仮面舞踏会を楽しみ、貴婦人は、昼間から、男のお付きを伴い、豪華な服や貴金属をあさり、食べ歩く余裕があった。趣味で絵画を描いたり、音楽を楽しむ事が流行した。オリエント急行が、ヴェネチアまで延長されると、ヨーロッパの観光メッカとして、ヴェネチアを訪れるのが、憧れとなった。(それらは、<ベニスの商人>にも描かれている。)ヴェネチア出身の<アルコ・ポーロ>が、地中海から、シルクロードを経て、中国に旅行した<東方見聞録>が出版されると、東アジアへの関心も広がって行った。
1379年には競争国ジェノヴァ共和国を、キオッジアの海戦で破り、地中海の覇権を獲得し、大いに繁栄した。15世紀中頃から東地中海と東側の国境をオスマン帝国に脅かされるようになると、勢力を海上よりも内陸に向けるようになり、ローマ教皇やミラノ公国と争い、イタリアの強国の一つとなる。
(5) 新航路の発見
1497年、ヴァスコダガマが、アフリカの喜望峰を発見し、太平洋周りの航路が発展し始め、地中海貿易に陰りが見え始めた。
(6)ヴェネチアの衰退
  1616世紀にはオスマン帝国の進出、フランス、スペインのイタリア戦争の影響などで東地中海の領土と勢力圏を失い、次第に衰退していった。1508年にはローマ教皇ユリウス2世と対立し、フランス王ルイ12世、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世、スペイン王フェルナンド5世がカンブレー同盟をむすび、ヴェネティアと戦った。
 さらにオスマン帝国の艦隊が東地中海に進出してきたことに対し、1538年にプレヴェザの海戦でスペイン(カルロス1世=神聖ローマ帝国カール5世)・ローマ教皇との連合艦隊を編成して戦ったが敗れ、地中海の覇権を失った。
 その後、1571年にはスペインと協力してレパントの海戦でオスマン海軍を破ったが、15世紀末からの新航路の発見によって世界の貿易の中心が大西洋岸のリスボンなどに移るという、いわゆる商業革命に伴い、地中海の商業都市ヴェネティアは衰退せざるを得なくなった。
 1797年にイタリアに侵攻したナポレオン率いるフランス軍とオーストリア軍との間のカンポ=フェルミオの和約によってヴェネツィアはオーストリア領とされ、ヴェネツィア共和国は消滅した。ウィーン会議でもヴェネツィアなどの北イタリアはオーストリア領とされ、ウィーン議定書で確定した。
(終わりに)
 地中海貿易で巨万の富を蓄積した、自由商業都市<ヴェネチア>は、このような過程で繁栄したが、太平洋航路の発展により、その地位は、衰退し、その後は、観光地として、まだまだ、人気はあるようである。しかし、自動車の乗り入れができない事や、地球温暖化の影響もあり、地盤沈下で海水の浸水も起こり、もはや、これ以上の都市の発展は、望めない状況である。しかし、ヴェネチアで生まれた、芸術文化の恩恵に、我々も、未だに浴しているのである。
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