音楽鑑賞同好会『ムジチ』の広場

音楽の鑑賞や演奏を通じて、仲間と楽しむ。

『ブログを書く事とは。(その二)』

01月28日(土)09時56分
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ブログの凄い所は、パソコンや携帯電話があれば、全国いつでも、どこでも見れることだ。私のブログの読者も数は多くはないが、東京から岡山、広島、四国等に広がっている。毎日、ブログを開けてくれた人数が出るので、約20名の方が読んでくれているようだ。コメントは、それ程多くはないが、記事を読んでの感想であったり、連絡であったり、コメントを入れて下さる顔ぶれは、大体固定されている。最近、大学時代、オーケストラでクラリネットを吹いていた女性から、コメントを入れてくれた。数年前から、リコーダー・アンサンブルを始めているそうで、ホームページやブログも書いている事を知った。懐かしい同僚の活躍振りを知るのは、嬉しい事だ。(『ブロックフレーテの音色』)です。リンクしましたので、読んで下さい。)
 2年前の正月過ぎの事、ふとしたことから、体調不良となった。不眠が始まり、次々と体の異常が生じ、自信がなくなった。そして、何をする意欲も出て来ない<うつ状態>に陥った。すると、不思議なもので、そこに、パソコンンがあるのに、蓋を開ける意欲さへ、出ないのだ。体の中の活力のポテンシャルが、極度に下がってしまう、奇妙な病気だ。無論、ブログを書くどころではない。1か月も休んでいると、心配した読者の一人、大学時代の友人から電話が掛かって来た。何が起きたのだろうと心配してくれたのだ。結局、再開できたのは、その年の12月からであった

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 この体験をして、ブログを書くためには、ある程度、健康でなければ(頭の健康も含めて)、続けられないものだとも思った。ブログを書こうという意欲があることは、まだ幸せな事なのだ。自分の思いの幾つかでも、全国に向けて自由に発信できる事は、素晴らしい事だと思う。
 ブログは、日記帳の延長のようなものだが、私に日記を書かせ、指導して下さった、小学生の恩師の事をいつも思い出す。小学5年、6年と担任であった、<沖野太先生>。この先生は、国語が専門の先生だった事もあるが、5年生のある日の授業で、皆に日記を書くよう勧められた。私も、ノートに毎日、その日のあったことを書くようになった。先生は、1週間位書くと、それを持ってくるように言われ、昼休みに、先生が目をとうして、赤インクのペンで、感想を書いてくれて、返して下さった。私は、その先生が綺麗な字で書いてくれるのが、嬉しくて毎日書くようになった。しばらくすると、先生がこんな事が書かれていた。「毎日の出来事を丁寧に書いていますが、その日で一番感動したことや、感激したことを中心に書いて見て下さい。」と。その頃は、幼稚なので、朝起きてから、寝るまでの事を全部、克明に書くのが、日記と思っていたのだ。私は、先生の助言で、それから、面白かった出来事や母親に叱れた事等も書くようになった。あの当時は、寒い夜等は、家族が集まると、満州から引き揚げて帰った苦労話をよくしていた。それを日記に書くと、先生も大変興味を持たれたのか、「みんなが、無事に帰れて良かったね。」とか、「お母さんは、一人で大変な苦労をされたのですね。」と労いの言葉があった。いつのまにか、先生との交流が交わされているようで、書くのも楽しくなってきたのだった。
 その先生のお陰で、私は、高校生位までは、一日も休まず日記を書いた。わずか、2~3行でも、書くのが自分の仕事だと思っていたのだ。今から思うと、この沖野先生の指導がなければ、日記も書いていたかどうかわからないし、文章を書くのも苦痛であったかも知れない。それにまして、自分が感動した事や一番訴えたい事を書く事の大切さを教えられた気がする。
 沖野太先生は、よく肥えた体格の良い先生で、普段は目を細めてよく笑う先生だった。だが、授業中は、厳しくて、悪ふざけや態度が悪いと頭にげんこつをやられ、顔にピンタが飛ぶ事も珍しくなかった。怖い先生だった。日によっては、先生の機嫌の悪い日があり、朝の授業が始まると、先生の顔の表情を伺っていて、ピンとした緊張に包まれていた気がする。
 その沖野先生も、退職後若くして、肺炎で亡くなられたとの訃報に接し驚いた。もう、30年も前の事だろうか。その前に年賀状には、「私は、120%の人生を送らせてもらいました。」と書かれており、幸せな人生であったのは、間違いのないようである。

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 当時の小学校の同窓会を開いても、何回も先生にピンタを受けた生徒もいたが、懐かしい話はしても、誰も沖野先生の事を悪く言う者は、ほとんどいなかった。厳しい反面、優しい先生であったからだろうと思う。(それにしては、最近の同窓会では、あまり、沖野先生の思い出話もあまり出なくなったのは、どうしてだろう?)
いずれにしても、恩師である沖野先生のお陰で、日記を書く事を教えられ、その延長で現在のブログを書かせてもらえているのである。
 学生時代には、自分に取って、大きな影響を与えてくれる先生との出会いがあるものだ。私にとっては、国語の沖野太先生、音楽の渡部昇先生、数学の稲荷善一先生が忘れられない恩師である。


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『ブログを書く事とは。(その一)』

01月25日(水)11時40分
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最近テレビを見ていたら、アメリカの高齢の女性が認知症になり、娘が介護している姿が放映されていた。一日中、ボーとして寝ているだけの生活。娘は、何とか元の元気なお母さんにならないかと色々試めしてみたそうだ。
 ある日、「お母さん、昔日記を書いていた事があるでしょう。毎日、やった事を書いてみて頂戴。」「私が、それをブログに書いてあげるから。」と。すると、お母さんが、日記を書くようになった。娘は、それをブログにアップし、映した写真等も載せてあげた。
 それから、お母さんは、認知症が次第に軽くなり、自分でブログを書くようになり、写真も入れたり、自分で編集するようになり、一日が、退屈でなくなったと。
 このテレビを見て、成る程、ブログを書くのは、認知症にならない効能もあるのだと、自分がブログを書いていることに、少し自信が持てるような気がした。
 そこで、自分がブログを書く事には、どんな意味があるのか、もう一度考えてみようと思った。ブログが自由に書くことが出来だしたのが、20年前位だろうか。それから、TwitterやFacebookやLine等の所謂SNS等が次々広がり、今や携帯電話からも、簡単に発信できるようになった。これは、誰でもが、自由に自分の意見や主張を書いたり、共通の友人を発掘できたりすることが出来、しかも基本は無料である。
 勿論、Twitterに書き込まれた記事を攻撃したり、ストーカー紛いの行動をとり、警察沙汰になる事もあるようだ。

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しかし、ブログが誰でも書けるようになる以前の時代を振り返ってみよう。自分が何かの主張や意見を書きたいと思っても、新聞の<声>欄に載せてもらおうとしても、容易なことではなかった。いわんや、新聞や雑誌に載せてもらえるのは、一部の有名人や作家や知識人でしかなかったはずだ。しかも、新聞や雑誌の編集長の検閲があり、訂正をさせられたりすることも、あったはずだ。
 僕も昔、医学雑誌に<エッセイ>を載せてもらおうとした事があるが、投稿するには、色々と規定があり、何字以内とか、あとで、訂正を求められたりと、大変であった。せいぜい、<市の医師会報>に数年に一度順番に何かを書いて下さいと記事を載せてくれるのが関の山であった。
 ブログやホームページを書くのも、最初は大変だった。本を読んで、自分で研究して、ブログを立ち上げなければ、ならなかった。そのうちに、ソフトが販売されるようになった。今では、色んな、ブログ会社が出来、その枠を選択すれば、色々な好みのブログを立ち上げることが出来るようになった。だいたい、その会社もブログを立ち上げる際のコマーシャルで経営を成り立たせているようだ。
 そもそも、私が、ブログを始めたのは、『音楽鑑賞同好会「ムジチ」』をやりだしたからで、その案内状やプログラムを少しでも多くの方に知ってもらおうと思ったからだ。最初は、知り合いに電話したり、案内状を作成して、郵送もしていたが、インターネットが普及しているので、インターネットが見える人には、定例会の案内や感想等も読んでもらえると思い始めたのであった。最初の頃は、毎月一回定例会を開催していたので、大変であった。『音楽鑑賞同好会「ムジチ」の広場』と言うブログを立ち上げ、記事をかくようになった。しかし、実際は、このブログを見て、定例会に来てくれる人が、どれ位いたか、甚だ疑問であるが、それでも、ムジチのブログもあることは、宣伝でき、最近は、『ムジチの広場』を時々見てくれて、感想を言ってくれる方も多くなった。
 ブログでは、<ムジチ>の事だけでは、面白くないので、その合間に、自分の音楽の思いや発見等の記事をかいてみたり、日々の生活の出来事や感想を書いてみるようになった。ブログには、読者から寄せられる、<コメント欄>や<拍手>の機能もあり、時々、感想等をコメントしてくれるようになった。
 そもそも、私がブログを続けてこれたのは、自分が文章を書くのが好きだからであろうと思う。義務的に書いているわけではないし、書く事が苦痛ではない事は、確かだ。時々、コメントを書いて下さいとか、何でもいいので、ブログに載せるので、書いてくれませんかと頼んでみるが、私は、文章は下手なのでと断られる人が多い。誰でも、書けるわけでもないようだ。

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 私も、小説家や詩人のような大層な文章をブログに書こうとしているのではない。普段の生活の中に見出したちょとした出来事や嬉しかったことや悲しかった事等、思いついた事を、1週間位に1~2回書いているのだ。ブログを書いていると、そのテーマは、ふっと出てくるもので、それを、メモしておいて、下書きをする。それに、加筆したり、訂正したりしながら、数日を掛けて、ある程度まとまった文章にする。それに、読者が読みやすいようにするには、写真や挿絵を挿入したりしている。特に強調したいところは、赤字にしてみたりと、色々と編集をしなければならない。この作業は、案外時間がかかるものだ。長いものでは、休日の午前中を費やす場合もある。おかげで、家の事は、何もしないので、家内は、機嫌の悪い時もあるが、最近では、もう諦めてくれているようで、途中にお茶を運んでくれたりもしてくれる
 ブログの文章を完成させると、一つの達成感がある事は確かだ。そして、読者からの反応があれば、なおさらの事だ。しかし、時には、大儀でどうも、気が乗らない事もある。こんな時は、最初だけ、書いて、嫌になると止める。また、最初から、あまりまとまった文章を書こうとすると、大変なので、軽い文章は、詩のように、短い文を 区切り、句読点も書かず羅列式の文を試みている。こうすると、そんなに、考えなくても良いから楽だ。
 ブログの効用は色々あるだろうが、生活に張りが生じるのは、確かだ。あれも、これも書いておかねばと思う事が、次々生まれてくるものだ。ブログは、誰の検閲を受けることもなく、訂正を求められることもない。逆に、間違った事をかいたり、漢字が間違っていたり、変な文章になっていたりもする。ブログにアップして、自分で気が付いた場合は、後で少々勝手に修正したりもしている。
 ある程度の<エッセイ>にしようとすると、あまり嘘もかけないので、色々と調べが必要がある。昔なら、辞書や百科事典や図書館で調べる必要があったのだろうが、最近は、Wikipedia等の辞書があり、何でも簡単に調べられるので、これは、ありがたいことだ。だから、自然に頭を使わなければならんくなっている。そんなに、難しい作業をやっているわけでは、ないのだが。これが、認知症の予防に多少ともなってくれているのなら、なお、嬉しい事だ。

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 他の人のブログも時々見るが、千差万別だ。日常の出来事をただ、羅列的に書いているのが多い。何をして、何を食べて、どこへ行ったとか。有名な俳優や女優なら、それでも、こぞって読んでもらえるのだ。先日、フリーアナウンサーで歌舞伎俳優<海老蔵>の妻である<小林麻央>のブログを開けて見た。ご存知のように、乳がん末期で発見され、闘病中であるが、<海老蔵>や子供達、それに姉の<小林麻耶>等の家族の愛に支えられて、生きようとする前向きなメッセージが書かれていて、感動した。すでに壮絶な闘病生活を送って来られたののだろうが、近いうちに主治医の先生と相談して、退院して、自宅療養に踏み切りたいと書かれていた。これだけの、毎日のブログの発信でも、どれだけの同じような闘病生活を送られている患者さんには、励みになることだろうか。
 自分の趣味をテーマにしたブログも多い。女性のブログでは、料理やケーキ等の話題を提供して、そのレシピを投稿してくれるブログもあるそうで、僕の娘は、参考にしているそうだ。音楽のブログもたくさんある。
政治的な主張をしようとするブログを書いている人もいるが、僕は、自分のブログで、それをあまりしようとは、思わない。あくまで、音楽のブログだから。時に、今の時世の主張をどこかへぶつけたい時もあるが、それは、Twitterにすれば、良いのだ。これなら、どんな主張をしようが、自由なのだから。(
最近のトランプ氏のように。)



『マリちゃんは、可愛くて賢い!』

01月19日(木)12時11分
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この間の日曜日 家内は朝早く
自治会の<廃品回収>で 出て行った
当分マリちゃんが 玄関の手前で
鳴いている声が 聞こえていた
ボクは2階のベッドで まだ寝ていた
早く起きても することがない
しばらくすると マリちゃんが2階に
上がって来て 枕元に座り
<早く起きろ>と 言わんばかりだ
ボクは知らぬ顔で ベッドに潜り
布団を被り 寝たふりをしていた
するとマリちゃんは 布団に入って
一緒に寝てしまった 下に降りても
誰もいないし 寒いだけだ
何と賢い猫だ! 2階にボクが寝ているのを
ちゃんと知っている! 2階で寝る方がましと
判断したのだろうか 状況をちゃんと判断し
対応出来るのが 凄い事だ!

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その前にも こんな事があった
家内が午前中 家を空け
昼前に 帰って来たらしい
ところが何度<マリちゃん>と 呼んでも
返事がない 一階の部屋を全部捜し
2階に上がり <マリちゃん>と何度も呼びながら
捜しても 一向に返事もない
おかしいな?と もう一度一階の部屋を
総点検したが 見当たらない
おかしいと思い 2階に戻り
ベッドの布団を はぐると
マリちゃんは ちゃんと寝ていたではないか
何度も呼んでも 返事しないのが凄い!
へらこい猫だ 返事位しろよ!
マリちゃんにすれば 何の用事があるのか?
黙りを 決め込んでいたのか?

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先日家内が 玄関で用事していたら
ちょっと油断した スキに外へ飛び出した
しばらく嬉しくて 庭を走り回っていた
すると外から 野良猫がやってきた
マリちゃんは その猫を追っかけ
追い回し 野良猫がヒノキの木に
よじ登るや それを追っかけて登り
遂には 野良猫は他所へ追い出した
家内は それを目撃して
マリちゃんが 3本足で木によじ登るとは
信じれなかったと 中々活発な女の子だ

娘の家にも 猫を何年も飼っている
この猫は 肥満気味で
いつも寝ている 僕らが行っても
ニャーとも 鳴かない
何の芸もない たいくつな猫だ
それでもこんな猫でも 可愛いのか
孫たちも いつも抱いたりしている
存在感が薄い猫だ それに比べると
内のマリちゃんは 活発な猫で
娘の猫より ずっと賢いはずだ
でもどこの家の猫も
自分とこの猫が 一番と思っているらしい!







『ピヒラヤの花咲く時』

01月15日(日)10時46分
ナナカマドの花 (300x225)

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正月の夜、沢口靖子と内藤剛志主演の<科捜研の女>をテレビで見ていた。最近の科学捜査は、あらゆる科学技術を駆使して、犯人の特定に迫る。今回の事件は、25年前の事件と同じ幼児誘拐事件とどうも関連があることがわかってきたのだ。筋書が面白かったせいか、久しぶりに眠らず、最後まで見れた。
 その中で、25年前に自分の子供を誘拐された母親が、クラシックファンで、色々なクラシックのレコードやCDを聞いていたようで、その中に<ピヒラヤの花咲く時:シベリウス)と言うピアノ曲も入っていたと紹介されていた。
 私は、シベリウスは好きだが、ピアノ曲は、ほとんど知らなかった。調べてみると、<ピヒラヤ>とは、日本の<ナナカマド>と同じで、森林に多く、秋には真っ赤な紅葉になる、綺麗な木だ。私は、昔登山をしていたので、ナナカマドの赤い実や紅葉は、見たことがあるが、白い花は、まだ見たことがない。フィンランド出身のシベリウスは、森や湖をよく散歩して、美しい自然をよく観察していたに違いない。そこから、こんなピアノ曲も、浮かんできたのだろう。この曲は、<樹木の組曲>の五つの小品の最初の曲のようだ。5曲を聞いてみたが、やはり、最初の<ピヒラヤの花咲く時>が、一番美しいと思った。フィンランドの極寒の冬が終わり、雪解けの季節の清らかな空気の中で、<ピヒラヤ>の白い花を見つけた時の感動は、格別なものがあるだろうと、想像したのであった。そんな美しい曲だった。それぞれが、短い小品であるが、ピアノ発表会等では、よく演奏されるそうだ。皆さまも、一度聞いてみて下さい。


シベリウス : 5つの小品(樹木の組曲)
Sibelius, Jean : 5 Pieces Op.75
ピアノ独奏曲 [pf] / 曲集・小品集
作品概要
楽章・曲名 演奏時間
1 ピヒラヤの花咲くとき / "When the mountainash in flower"  2分 00秒 --

2 さびしい樅の木 / "The lonely fir"  2分 30秒 --

3 ポプラ / "The aspen"  2分 30秒 --

4 白樺の木 / "The birch"  2分 00秒 --

5 樅の木 / "The fir"  3分 00秒 --  

12分 0秒
作曲年:1914
出版年:1922
初出版社:Hansen








『Yちゃんの皮膚炎』

01月11日(水)08時34分
親子

Yちゃんが、ニコニコしながら、診察室に入って来た。目がクリットした、2歳半の可愛い男の子だ。それでも、「こんにちわ。」と挨拶しながら、椅子に座った。後から、背の高い若いお母さんが追っかけてきた。「どうされましたか?」と聞くと、「実は、左手に半年前から湿疹ができ始めて、なかなか治らないので、診てもろおうと。。。」「そうですか。」と私は、Yちゃんの小さな左手を取り上げてみると、なるほど、小指と薬指の当たりが赤くなり、多少盛り上がっている。乾燥したカサカサした皮膚炎だ。「やはり、痒がるのでしょう?」と聞くと、「夜寝ているうちに、掻くみたいです。」と。「左手だけに、起こるのが不思議ですね。何か、皮膚炎が出来る、外から接触するような原因で、思い当たるようなものが、おありですか?」とお母さんに聞くと、「この子は、保育園に預けているのですが、毎日何回も手を<泡石鹸>で洗っているようなのです。」「先生は、給食の前も、外から遊んで帰って来た時も、何度も教室に入る前に手を洗いましょうと指導されています。」「子供は、泡石鹸を付けて両手を擦るのですが、水道水で洗うのに、完全にきれいに洗わないので、左手に石鹼液がいつも残るのではないかと思うのです。」と。「病気で、2~3日休むと皮膚炎が良くなるので、私は、保育園で使う、泡石鹸に問題がある気がするのです。」と。さすがに、お母さんは、よく観察していらっしゃる。「そうですか、他に原因らしいものも、考えられませんね。」と私も応じた。

保育園


 「これは、<接触性皮膚炎>と言う皮膚病だと思います。」「その泡石鹸は、合成洗剤なのですね。」と聞くと、「そうだと思います。それで、私としては、それを粉石鹸に変えて見たらといいのではと思うのですが、なかなか保育園の先生に、直接言えないのです。」「それで、おばあちゃんとも相談して、先生に一筆書いて貰って、それを園に提出すれば、受け入れて貰えるのではと、お願いにきたのです。」と言われる。半年間、それでおかあさんとおばあちゃんで悩んでいた様子が伺えた。
 「そうですか、そしたら書いてみましょうか。少しお待ち下さい。」と私は、診断書を取り出して書いた。病名は、<接触性皮膚炎(左手)>である。その下にこう書いた、「原因は、はっきりしませんが、保育園で使用されている泡石鹸を粉石鹸の泡石鹸に変更してみるのも、一つの良い方策かと考えます。」と。
 それから、2週間位した、日曜日に、その親子が他の用事もあって、私の自宅を訪問してくれた。おばあちゃんとも昔からの知り合いなのだ。玄関に入るなり、Yちゃんは、「おいちゃん、ありがとう。」と言いながら、家にはいった。「そう、左手をちょっと見せて。」とわたしが、手を取ってみたが、完全に皮膚炎は消失していた。「まあ、良かったね。お母さんの観察力が効を奏したのですよ。」と言いながら、私も嬉しかった。Yちゃんは、今日は、後ろ髪をゴムで二括りして、赤いリボンを付けて貰い、女の子になっていた。服も赤系統の服を着せても貰っていた。お母さんの気分で、日によって、男の子にしたり、女の子にしたりして楽しんでいる。どちらにしても、可愛い顔なので、よく似合うのだ。結婚して、ようやく夫婦の間に生まれた子供なので、可愛くて仕方ないようだ。歩くのも話すのも、普通の子供よりも遅くて、心配していたが、何の事はない、元気に育っている。しばらく、内の居間で、猫のマリちゃんとも遊んで、帰って行った。「子供が、大きくなるまでには、色々な事があるよね。それでも、左手の皮膚炎が解決できて良かったね。」と私も、その日は、とても気分が良い一日だった。



『主人は冷たい土の中に』

01月07日(土)09時46分
フォスター写真

フォスターの名曲を調べていると、<主人は冷たい土の中>と言う歌が目に付いた。
この歌は、知らない歌だ。どんな歌だろうと、調べると、ユー・チューブで歌も流れた。
何だ、あの歌かと思った。<春風>と言う曲だ。昔、中学生の頃に、音楽の授業で、リコーダーで吹いていた、懐かしい曲だ。音楽の授業で、渡部昇先生が、ピアノ伴奏をしながら、皆にこの曲をリコーダーで吹かせて、全員で合奏していたのを思い出した。この曲は、音階もそれ程難しくなく、初心者でも簡単に吹けるので、先生が皆にやらせてくれたのだろうか。(当時は、<スペリオパイプ>と呼んでいた、プラスチック製の縦笛で、これが<リコーダー>と呼ばれる西洋楽器だとは、知らなかった。)
 それにしても、<春風>の歌も一緒に歌ったように記憶しているが、フォスターの原曲に、日本の歌詞を付けていたとは、全く知らなかった。春風が吹いて来るような、気持ちの良い歌だと、リコーダーを吹くのが楽しくなるような曲だった。この歌から、僕のリコーダーへの愛着ができたような、そんな曲だったのだ。
 調べてみると、<主人は冷たい土の中に>は、黒人霊歌で、農園を仕切っていた優しかった、年老いた黒人の園主の死を悼む曲のようだ。それを元に、フォスターが歌にしたのだ。そんな悲しい歌とは、想像だにしなかった。



歌詞・日本語訳(意訳)
1
Round de meadows am a ringing
De darkey's mournful song
While de mocking bird am singing
Happy as de day am long
草原に響き渡る黒人達の悲しみの歌
過ぎ去りし日の幸せをマネツグミが歌う
Where de ivy am a creeping
O'er de grassy mound
Dare old massa am sleeping
Sleeping in de cold, cold graound
ツタが這う草深い土手に
主人は眠る、冷たい、冷たい土の中に
<chorus>
Down in de cornfield
Hear dat mournful sound
All de darkeys am a weeping
Massa's in de cold, cold gound
トウモロコシ畑では、悲しみの歌が聞こえる
黒人たちも皆泣いている
主人は眠る、冷たい、冷たい土の中に
2
When de autumn leaves were falling
When de days were cold
'Twas hard to hear old massa calling
Cayse he was so weak and old
秋の落葉、そして寒い日々がやって来る頃は、
主人の呼ぶ声が聞き取りづらい
彼はもう年老いて弱っていたから
Now do orange tree am blooming
On de sandy shore
Now de summer days am comming
Massa nebber calls no more
オレンジの木が茂り
砂浜に夏がやって来ても
主人の呼び声はもうしない
<chorus>
3
Massa made de darkeys love him
Cayse he was so kind
Now, dey sadly weep above him
Mournin cayse he leave dem behind
主人は黒人たちに愛されていた
彼はとても優しかったから
残された彼らはただ嘆き悲しむばかり
I can not work before tomorrow
Cayse de teardrop flow
I try to drive away my sorrow
Pickin' on de old banjo
働けないほどに涙は止まらない
古いバンジョーでもつまびいてみようか
悲しみを振り払うために
【関連ページ】 アメリカ民謡の父 フォスター特集



【歌詞】 春風(はるかぜ)
吹けそよそよ吹け 春風よ
吹け春風吹け 柳の糸に
吹けそよそよ吹け 春風よ
吹け春風吹け 我等の凧(たこ)に
吹けよ吹け 春風よ
やよ春風吹け そよそよ吹けよ
やよ吹くなよ風 この庭に
風吹くなよ風 垣根の梅に
やよ吹くなよ風 この庭に
風吹くなよ風 我等の羽根に
吹くな風 この庭に
やよ吹くなよ風 吹くなよ風よ


同じくプランテーションソングの「故郷の人々(スワニー河)」は、故郷を遠く離れ、アメリカのプランテーションで強制労働させられる黒人達の郷愁の想いをうたった曲。
また、ケンタッキーフライドチキンのCMで有名な「懐かしきケンタッキーの我が家」も黒人霊歌の一つ。

フォスターの彫像 (225x300)

そう言えば、<スワニー河>も、リコーダーで吹いていた気がする。それにしても、あの当時(昭和30年代から)、フォスターの歌の数々をリコーダーで吹く事を教えてくれた、渡部先生は、やっぱり偉い先生だったと思う。ブラスバンドを課外クラブとして早くから取り入れ、音楽の授業にも、器楽合奏を取り入れたのは、僕達にとって、<音楽への扉>を開けてくれた先生だったのだ。
あの先生の眼鏡を掛けた四角い顔や語り口、指揮振り等を今でも思い出す。(あだ名は、<下駄>だった。)優しく、音楽への情熱が深かった先生だった。どれだけの中学生に音楽の楽しみを教えられた先生だっただろうか。





『幸せに過ごすには』

01月03日(火)09時41分
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最近、私の恩師である、大学の先生が、皮膚科教室の同門会誌に、こんな事を、書かれていました。
最近、退官されてから、体調があまり良くないそうで、高齢になると、「バートランド・ラッセル」の言葉が
身につまされてくると。
 イギリスの哲学者・論理学者・数学者で、ノーベル文学賞を受賞した、「バートランド・ラッセル」が、80歳を過ぎた頃に、雑誌のインタビューで、「幸せとは、何か?」と問われた時に、「まず健康、そして自分が充分だと思うだけのお金、最後に何かしなくてはいけないということを持っていること。」と答えられたそうです。
 これを読んで、私も成る程と、納得したのでした。歳を取る程に、それを実感します。
まず、健康が幸せの源であることは、誰しも、異論はないでしょう。健康でないと、仕事はできないし、生活も不自由です。老後には、そこそこの蓄えがないと、十分な生活もできません。そして、何よりも、自分が、なにかしなくてはいけないと思う物がないと、生活に張り合いがありません

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私は、2年前に、ふとしたことから体調を崩し、ほとんど一年間を不安な日々を過ごしました。健康のありがたさを、身に浸みて感じました。
老後の蓄えは、多くはありませんが、夫婦二人の年金で暮らせないことはありません。しかし、年金は、大学卒業からずっと働いて来た割には、非常に少ないのです。まだ、少々働かなければ、楽しい生活は送れません。
最後に、何かをしなくてはと言う、目標は、自分なりに幾つもあります。仕事でも、まだ一人前に働かなければなりませんし、趣味も沢山あります。音楽、旅行、写真、水彩画等、意欲は失われていないつもりです。
 今年も、多くを望まず、ゆっくりと前を向いて進みたいと思います。幸いに、音楽仲間も、<ムジチ>を通じて輪が広がり、色々な音楽を楽しむ事ができるようになりました。皆さま、今年も、どうかよろしくお願い申し上げます。



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